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融通念仏宗とは?開祖や歴史、葬儀、仏壇について

  • 2022年06月02日

キリスト教やイスラム教と同じように三大宗教の一つとされる仏教ですが、その中には様々な宗派が含まれています。本記事では、仏教の「融通念仏宗」について、どのような宗派なのか、その歴史や特徴、念仏、経典を含めて紹介します。

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融通念仏宗とは?

融通念仏宗とは、浄土系に含まれる融通念仏宗は平安時代に関西で始まった念仏を推進する仏教です。伝統的な仏教の宗派は、臨済宗・真言宗・天台宗など全部で13宗ありますが、融通念仏宗もその1つに含まれます。この宗派には、関西地域での知名度は高い一方で、関東地方や東北地方では臨済宗や天台宗などの他の仏教に比べあまり知られていません。

融通念仏宗の「融通」とは、様々なものが溶け合って融合した状態を指します。念仏が相互に融通することによって、より大きな新しい力が生み出されるという考えが融通念仏の基本です。融通念仏によって融合されるのは、人と人・物と物・物と人など、ありとあらゆる関係が想定されています。

融通念仏宗は、念仏によって色々なものを融合させることで現世を浄土に変えることを目的としています。この過程に存在しているのが、大勢の人が念仏を唱えお互いを救済することにより、皆が浄土へとたどり着けるという思想です。ここには、念仏を唱えることで阿弥陀仏の本願力による往生を願う「他力往生」や、誰もが生きたまま浄土に速やかに至れるという「速疾往生」の考えが読み取れます。

融通念仏宗の歴史や総本山

融通念仏宗の歴史は平安時代に良忍上人が平野の地で、融通念仏会を開いたことから始まります。この念仏会には多くの人々が集まり大変に盛況したことから、当時院政を行っていた鳥羽上皇はその場所を念仏勧進の根本道場とすることを命じました。これこそが融通念仏宗の総本山である大念佛寺の開山です。

融通念仏宗は仏教の根本的宗派の6番目のものとして始まりましたが、日本で生まれた仏教としては初めてのものでした。これは、融通念仏宗より先に誕生した天台宗や真言宗といったその他の宗派は、インドや中国、朝鮮から伝来した仏教であったためです。平安時代が終わり鎌倉時代になると浄土宗や日蓮宗など国産の仏教が隆盛しますが、融通念仏宗はその先駆けであったと言えます。

良忍上人が没した後はその後継者たちが融通念仏宗をより盛り上げましたが、大念佛寺に伝わる宗門の血脈は、第六世の良鎮上人が1182年に亡くなると途絶えてしまいます。しかし、嵯峨清涼寺や壬生地蔵寺などでは融通念仏が盛んに続けられ、色々な場所を渡り歩く「聖」という僧侶が各地で念仏勧進を行うなどした結果、融通念仏自体は全国に伝播し後世に伝えられていきました。1321年には、高野聖として活躍していた法明上人が、石清水八幡大士から融通念仏宗の宗門の後継者に指名されました。法明上人は念仏共同体の「講」を組織するなどして、融通念仏宗を復興します。

第三十六世の道和上人の時代には、総本山大念佛寺の場所が現在の大阪府大阪市平野区に定まり融通念仏宗の権威はより一層高まりました。当時の寺院は1615年に起きた大坂夏の陣で焼失してしまいますが、第四十三世舜空上人の時に本堂が立派に再建されました。その後、第四十六世の大通上人が登場することで融通念仏宗の再興が加速していきます。

大通上人は1682年に初めて江戸を訪れ将軍徳川綱吉に裁可を求め、諸国を巡歴したり、信者を教化したりしました。その結果、融通念仏宗復興の命を受けることになり、彼の下で大念佛寺の諸堂が新築されたり儀礼が規定されたりするなど、融通念仏宗の今日までの礎が築かれました。そして、1700年頃になると融通念仏宗の宗教体系が整えられ、最終的に大念佛寺が総本山となります。なお、大念佛寺の本堂は明治31年にも消失しており、現存のものは昭和13年に竣工したものですが、その総けやき造りの本堂は現在国の登録有形文化財となっています。

融通念仏宗の特徴と開祖

融通念仏宗の特徴はいくつかありますが、その一つは外国から伝来した仏教ではないことです。

融通念仏宗の開祖である良忍上人は12歳で比叡山に入山し、当時は日本よりも先進的であった中国から持ち込まれた天台宗の密教や学問を学んで、21歳の頃には修行僧を指導する立場にまでのぼりました。しかし、その時代の比叡山には学問の議論が中心であるがゆえに、仏道を求める環境ではなかった面も存在していたようです。武家が台頭し始めたことにより社会が不安定になりつつある環境の中では比叡山もその例外ではなく、仏道を求める修行僧は比叡山から去っていくようになり、良忍上人自身も23歳の時に洛北の大原へ移住しました。

良忍上人は大原で1日に6万編もの念仏を唱え、写経を行うなどの厳しい修行生活を送った結果、46歳の時に阿弥陀如来からお告げを受けます。このお告げが元となって融通念仏宗が始まりました。天台宗を学んだ良忍上人は、それをそのまま広めるのではなくその教義などをもとに自分で新しい宗派を作り出して布教したために、融通念仏宗は国産の仏教第1号だとみなされています。

融通念仏宗の内容としての特徴は、現世にありながら浄土に至ることができるとされていることです。この特徴は、良忍上人は大乗仏教の経典である「法華経」や「華厳経」を学んだ上で、融通念仏宗を立ち上げたことに由来すると考えられています。

称名念仏の形で仏の名号を唱えることも融通念仏宗の大きな特徴です。仏教の宗派の中には、心の中で仏の姿や功徳を念じる観想念仏の方法を取るものも存在します。しかし、融通念仏宗は「南無阿弥陀仏」などを声に出して唱えることで、功徳を他の人や物と分かち合うことができるとして念仏を唱えることを進めています。なお、融通念仏宗はその方針から「大念仏宗」とも呼ばれます。

融通念仏宗の教え

融通念仏宗には、「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、是名他力往生、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」という教えがあります。これは、「一人一人が唱える念仏の力は小さいものであるが、全ての人の功徳となる」、あるいは「全ての人の念仏は一人一人に功徳として与えられる」といった意味です。この教えの下、融通念仏宗を信仰する人たちは勤行として日頃から念仏を唱えることになっています。

毎朝、十界一念・融通念仏を、西の方に向って十唱することが日課とされる教えがあり、西の方を向くのは、人間界より10万億の彼方に極楽浄土が存在すると言う西方浄土の思想にもとづくためです。また、日課として百遍の念仏を唱えることが大切なつとめとなっています。

3種類の融通念仏宗の経典

融通念仏宗は「法華経」と「華厳経」を正依としています。また、融通念仏宗は浄土系の宗派であるものの「仏説無量寿経」や「仏説観無量寿経」などの「浄土三部経」は傍依としています。

また、融通念仏宗の読経でよく唱えられる経典は3種類あります。

観音経

その1つは「観音経」です。観音経は元々は法華経の一部である「観世音菩薩普門品第二十五」を指しています。融通念仏宗は、観音経を唱えることで人生の苦難から必ず救われると説いています。

座禅和讃

「座禅和讃」はそのタイトルに「和」が含まれていることからもわかるように日本語で書かれた経典です。漢文で書かれている場合が多かった禅宗の教典を民衆でも読めるようにと作られました。「衆生本来仏なり」で始まり「此身即ち仏なり」で終わるこの経典は、誰もが仏になれるということを説いていて、仏事の際には参列者が僧侶と一緒に唱えることが多いです。

般若心経

大乗仏教での悟りについて書かれた「般若心経」も融通念仏宗の経典となっています。融通念仏宗では般若心経を食事作法を行う時、及び年に3回開かれる「大数珠繰り」の行事の際に唱えます。

融通念仏宗の修行

融通念仏宗は日本で初めて念仏道場が総本山となった宗派であることもあって、その一般の信者にとっては仏前で念仏を唱えることも修行です。修行では教義の中の徳目を実践するために念仏を唱えますが、一人だけで行うのではなくみんなで念仏を唱えることで功徳の相乗効果が得られるとされています。また、寺院内での日常的な勤行や彼岸の行事、個人の法要なども修行に含まれます。

実際にはこのような勤行を、全ての融通念仏宗の信者が欠かさず行っているわけではありません。しかし、「念仏の中にあらゆる善行が含まれていて、念仏を唱えることは自分も含めたあらゆる人が極楽浄土へ至るための手段である」という融通念仏宗の考えは、多くの信者が認識しています。

融通念仏宗のお墓

融通念仏宗では墓については特に決まりがなく、墓石には「南無阿弥陀仏」「○○家之墓」などという文字を入れることが一般的です。墓石の形に関しても定まったものはなく、融通念仏宗の信者の中には洋風の墓石やデザイン墓石を選ぶ人もいます。また、彫刻する文字も日本語に限られておらず、様々なメッセージや好きな言葉を刻むことも可能です。

融通念仏宗の仏壇の本尊や飾り方

融通念仏宗では仏壇の飾り方が決まっています。まず、御本尊として、阿弥陀如来を中心に十10体の菩薩がその周りを取り囲む様子を描いた絵である「十一尊天得如来」像を中央に飾ります。さらにその右側に良忍上人の絵を、左側に法明上人の絵をお脇掛として掛けます。お脇掛の隣には段盛りと仏器を置き、天井からは灯篭などを吊るした上で、中段に位牌や高杯、湯飲みを準備します。その下の段には五具足や燭台、過去帳を、さらにその下の段にはお膳やおりんを置きます。これらの手前にある経机には線香立てや香合を、経机のわきには木魚などを設置します。

融通念仏宗の葬儀の特徴

融通念仏宗の葬儀は、使用する葬具や仏具が多いことが特徴です。銅鑼や太鼓といった音が出るものも多く使われるため、融通念仏宗の葬儀は比較的華やかなものになる傾向があります。また、家庭の仏壇で法要を行う場合にも、時として木魚や香炉を用意するようです。

融通念仏宗は念仏を重視している宗教ですが、それは葬儀の時も変わりません。葬儀の際には「南無阿弥陀仏」などが読み上げられますが、これは僧侶だけが唱えるのではなく参列者一同も唱えます。葬儀の際の念仏には、亡くなった人が迷うことなく浄土へたどり着けるようにという願いがこめられているということです。

融通念仏宗の葬儀では、法華経と華厳経で使用される「阿弥陀経」や「真身観文」を唱えることが多いです。阿弥陀経は浄土三部経の一つであり「南無阿弥陀仏」の題目に代表されるお経で、阿弥陀如来がいる浄土の素晴らしさと、そこに至るためには念仏が重要であるということを説いています。真身観文は、錠光如来が涅槃に入ってから53の仏と世自在王如来が出現するまでを説く観無量寿経の一部です。真身観文自体には、阿弥陀仏の真の姿を念じる方法が説かれています。なお、葬儀にあたっては般若心経を読経することは基本的にありません。

融通念仏宗の葬儀は全体を通して自由度が高いです。これは、融通念仏宗には誰もが念仏を唱えさえすれば浄土へ行けるとする教義があるためで、その意味では亡くなった人を思う気持ちがあるのなら簡素な祭壇で十分であるとも考えられます。

融通念仏宗の葬儀での焼香の作法

融通念仏宗の葬式の場合、焼香の作法にも特に決まりはなく、一般的な手順に従えば良いとされています。具体的にはまず、祭壇の前で僧侶と遺族に一礼し、焼香台の前まで進んでまた一礼します。そこで数珠を左手にかけてから、右手の親指と人差し指で抹香を少量つまみ香炉の灰の上に落とします。基本的にはこの動作を三回繰り返しますが、参列者が多い場合などには一回に省略することも可能です。そして最後に一歩下がって一礼をすれば、その人の焼香は終わりになります。

故人の自宅など狭い室内で葬儀が行われる場合には、盆の上に香炉を載せそれを参列者内で巡らせる「回し焼香」という方法が取られることもあるようです。なお、融通念仏宗の葬儀では、仏教の他の宗派などに属している人はその作法に従って良いとされています。

まとめ

平安時代に良忍上人が始めた仏教の根源的な宗派の一つである融通念仏宗は、念仏を重んじている仏教です。融通念仏宗の自分1人だけが救われるのではなく他の人と功徳を分け合うことによってみんなが救われるべきだとする思想は、現代にも通用するものでしょう。また、融通念仏宗は誰であっても唱えられる念仏を大切にしていて形式面にとらわれないことから、信者はその葬儀の方法や墓の形を比較的自由に選べるという特徴もあります。功徳を積むことにつながる念仏を唱えて、日本発祥の仏教を後世にも伝えていきましょう。

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