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真宗高田派の特徴や主な寺院、葬儀マナーについて

  • 2023年02月01日
家族が余命宣告されたら。やるべき準備と心構え
家族が余命宣告されたら。やるべき準備と心構え
「余命宣告」の正しい意味や、家族が余命宣告されたときの心構え、するべき準備のことについてわかりやすくご紹介します。
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真宗のお寺は全国にたくさんあり、複数の派を作っています。その中の一つに真宗高田派があり、京都の本願寺派・大谷派などを含め、真宗十派と称されています。ここでは、真宗にはなぜいくつもの派があるのか、その歴史を紐解きながら解説していきます。また、真宗高田派の葬儀のマナーや相場などについて、詳しくご紹介します。

記事の監修

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真宗高田派とは?

特徴

真宗高田派は浄土真宗の一つの派で、三重県津市一身田の専修寺を総本山とします。浄土真宗の教えを広めていた親鸞聖人が、鎌倉時代(1225年)に現在の栃木県真岡市高田に専修地寺を建立し、親鸞聖人が高田を離れ京都に戻った後は、弟子である真仏を中心にして布教活動が行われ、今日まで活動が続いています。真宗高田派には、他の真宗派と異なる大きな特徴があります。まず、全国各地には親鸞聖人を開祖としたお寺はたくさんありますが、専修寺は親鸞聖人が自ら建てた日本でただ一つの寺院ということです。次に、唯円(親鸞聖人の晩年の弟子)が親鸞聖人との問答を忠実に記した歎異抄を聖典として用いていないことが、他の真宗派と異なります。

歴史

真宗にたくさんの派があるのは上述しましたが、これは京都から新潟・関東などさまざまな地へ赴いた親鸞聖人の生涯に由来します。貴族の家に生まれた親鸞聖人は1181年、わずか9歳の年齢で出家をします。その後、20年という長い年月を比叡山での厳しい修行に費やします。1201年に修行に限界を感じて悩んでいた親鸞は、京都東山の法然上人を訪ねるように聖徳太子から夢で導かれます。法然上人は浄土真宗の教えを説いた有名な僧で、その教えは専従念仏といって南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも極楽へ行けるというものでした。そして、法然上人の弟子として学んでいた親鸞は、1204年に京都六角堂の癖救世観音から「僧侶がこれまでの決まりを破って妻を持てば、自分が妻になって一生添い遂げ、死んだ後は極楽へ導く」という夢のお告げを受けます。この夢がきっかけとなり親鸞は、越後に流罪になった後、恵信尼と結婚をします。

また、1205年には、京都だけでも200名を超える弟子たちの中で、親鸞聖人を含む10名ほどが法然上人の著書・選択集の書き写しを許されます。ところが、1207年に当時の仏教界を揺るがす承元の法難が起こります。念仏を唱えれば誰でも極楽往生できるという法然上人の教えは、身分やお金・修行とは関係なくありのままで良いということで、一般民衆だけでなく他の宗派の修行僧にもブームを巻き起こしました。そのため、法然上人の元へ既存の信者たちが行くようになり、仏教教団は朝廷に専従念仏を禁止するように働きかけ、親鸞聖人は越後に流罪になります。

京都から越後へたどり着いた親鸞聖人は、米の支給もわずか1年で停止され、自給自足の生活が始まります。つらく厳しい生活を送る中、越後の豪族の娘・恵信尼と知り合い、お互いに惹かれ合った二人は結婚します。そして、1211年、5年に及ぶ越後での流罪生活は終わります。そんな中、京都から法然上人の死去の知らせが届き、師がいなくなった京都に戻る意味がなくなった親鸞聖人は、関東を教化の地に選びました。ここから、20年近くに及ぶ関東での生活が始まります。民衆の教化に来る日も来る日も明け暮れ、着実に親鸞聖人の教えは関東に浸透していき、真宗の礎が築かれていきます。この時、栃木県高田に親鸞聖人によって専修寺が築かれます。

その後、1235年に高田の専修寺を真仏上人(第2世上人)に任せて京都へ帰ることを決意し、故郷へ帰ってからは執筆活動に専念します。1248年には浄土和讃・浄土高僧和讃を作り、1261年に90歳でお亡くなりになります。そして、1465年に第10世上人・真慧が三重県一身田に現在の本山・専修寺を建立し、1478年には皇室の御祈願所に指定されます。1596年には、豊臣秀吉が一身田村の350石を専修寺領として認めます。さらに、1658年に津藩から3万1000余の寄進を受け、現在の御影堂を完成します。

主な寺院

真宗高田派の寺院は624あり、真宗では全国で3番目の多さになります。本山である専修寺の他に、以下の主な寺院があります。

  • 北海道別院
  • 福井別院
  • 関東別院
  • 千葉分院
  • 横浜別院
  • 京都別院
  • 名古屋別院
  • 神戸別院

真宗高田派の葬儀

葬儀の流れ・マナー

真宗高田派の葬儀の流れ・マナーは以下のようになります。

  • 大切な方が亡くなった場合、真宗高田派のお寺に連絡をします。
  • 遺体を寺院または自宅へ移動し、枕経を勤めます。
  • 通夜の準備をし、通夜振舞いをします。
  • 葬儀・告別式が終わると出棺、斎場へ移動になります。

真宗高田派では、文類偈が読まれます。四十九日を過ぎて故人が仏様になると他の宗派では考えられていますが、真宗高田派では死んですぐに極楽浄土にたどり着いているので、香典の表書きはご仏前と書きます。仏前にお供えする仏飯は、仏教で神聖な花のモチーフとされている蓮の花の形に似せて、山型に盛るように備えます。仏花は、高田の一本松と呼ばれ本山では松の木を備えますが、一般では特に決まりはありません。また、葬儀の際は亡き故人を偲び、基本は他の葬儀と変わりませんが、焼香の作法が違うので気を付けましょう。

葬儀の費用相場

葬儀の費用は一般的に他の宗派と変わらないので、身内葬などの少人数では100万円くらいが相場になっています。ただ、本山に納骨したい場合は別途費用が必要になります。

焼香の作法

真宗高田派の焼香は、次のように行います。

  • 尊前にて一礼(合掌はしません)
  • 焼香三回(指先は上向けにしないで、またお香は高く上げたり押しいただいたりすることはしません)
    ※京都の本願寺派の焼香は1回、大谷派は2回です。
  • 合掌して礼拝(念珠の親玉を上にします)
  • 尊前にて一礼(合掌はしません)

真宗高田派の数珠の持ち方

数珠は基本的に左手で持ちます。また、合掌するときは、念珠の親珠を上にして房を左に下げます。なお、二連の場合には小珠のついている方を左にします。

真宗高田派の仏壇/仏具の注意点と費用相場

真宗高田派のお仏壇の正式な使用は、雨戸・商事の戸框まで金箔押し仕上げになります。御本尊をお祀りするお仏壇内部中央の部位を荘厳や空殿と呼びますが、このなお中央部に真宗高田派では唐戸という扉を付けるのが一般的です。小柱は、お仏壇内部中央の空殿の柱のことですが、高田派仏壇では沙綾形や綸子という独特の彫りを施します。また、お仏壇内部の左右の中柱に、昇り降りの昇降龍の装飾彫刻を施します。段板積みの須弥段は、段廻り・柱・高欄すべてに金箔を押します。真宗高田派のお仏壇はほとんどに金箔が施してあるので、通常のお仏壇よりも高い傾向にあります。例えば、価格が安い物でも、50万円からが相場になっており、高価な仏壇は数百万円にもなります。

まとめ

親鸞聖人が全国へ念仏の教えを広めていった中で、最大の教団となった真宗高田派。真宗の中でも特に親鸞聖人が熱心に指導をしたことで、京都に戻った後も関東から教えを請う大勢の門都たちが京都に足を運んだと言われています。南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽往生できると説かれたその教えは、今もなお多くの人たちの心の支えとして受け継がれているのです。

監修者のコメント

真宗高田派の特徴や主な寺院、葬儀マナーについて

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