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中村勘三郎さん葬儀の形|密葬の後に本葬、夫人の白喪服姿の意味

  • 2021年07月21日

コクーン歌舞伎など先取的、精力的に活動して、平成に一大歌舞伎ブームを起こした中村勘三郎(18代目)。
2人の息子が襲名公演のため葬儀に参列できず、通夜葬儀・告別式、そして本葬という流れでお葬式が行われました。
関係者と一般人あわせて1万人以上が弔問に訪れた本葬だけではなく、密葬とされていた通夜や葬儀に、何百人もの弔問客が訪れるなど、人を愛し、人に愛された人柄が伝わるまさに人生の集大成となりました。
この記事では中村勘三郎さんのお葬式、そして妻の好江さんが着た「白い喪服」に込めた意味などをご紹介していきます。

中村勘三郎さん プロフィール

1955年(昭和30年)5月30日 東京都生まれ。
2012年(平成24年)12月5日 57歳没。
本名は波野哲朗(なみの・のりあき)

1959年(昭和34年)4月、歌舞伎座「昔噺桃太郎「の桃太郎で五代目中村勘九郎を襲名、初舞台。
以降は舞台、映画、テレビやラジオで子役として活躍。
1980年(昭和55年)11月 七代目中村芝翫の次女・好江さんと結婚。 歌舞伎役者として古典歌舞伎を幅広く演じたが、常に先取的な活動でも知られる。 コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げ、渡辺えりや野田秀樹といった現代劇の劇作家、演出家らと組んで、古典歌舞伎の新解釈版や新作歌舞伎の上演に挑戦し続けた。 また地方巡業や海外公演も精力的に行なっていた。 2005年(平成17年)3月十八代目中村勘三郎を襲名。 2010年(平成22年)特発性両側性感音難聴を発症し、休養。
2011年(平成23年)11月から2012年(平成24年)5月長男・中村勘太郎の六代目勘九郎襲名披露舞台を含む平成中村座ロングラン公演。
2012年(平成24年)6月に初期の食道癌と判明したことを公表。療養を開始。
2012年(平成24年)7月長野県松本市のまつもと市民芸術館でサプライズ出演。最後の舞台出演となった。
2012年(平成24年)12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去。享年57歳。

中村勘三郎さん 最期の様子

食道がん公表から一年足らずでの逝去

2012年(平成24年)6月に初期の食道がんでの療養を発表。
その翌月にあたる7月18日に長野県松本市の「まつもと市民芸術館」で催されていた「平成中村座 信州まつもと大歌舞伎」。
その「天日坊」千秋楽で木曽義仲の役でサプライズ出演しました。

そのカーテンコールで舞台衣装姿のまま登場し、「必ずや松本に帰って来てみせます」と 挨拶。これが勘三郎さん最後の舞台出演、また公の場での最後の姿となりました。

入院してのがん闘病中だった勘三郎さんですが、食道がん手術は成功したものの、誤嚥を起こし呼吸器をつけ言葉を奪われていました。
その闘病生活はとても過酷で壮絶だったようです。 闘病中の様子は、後に好江さんの著書やTVの特別番組などで明かされました。

歌舞伎公演中の息子2人が看取った奇跡

最後は、偶然にも東京にいられた息子さんお2人や家族、また親交の深かった大竹しのぶさんや野田秀樹さん、江川卓さんらに看取られて息を引き取りました。
勘九郎さんは「公演が1週間近く経ったから、ちょっと様子を見に帰ろうかという感じだった。着いてみたら大変なことになっていて。」と偶然に居合わせることができたことを話しています。
勘九郎さんと七之助さんのお2人は、勘三郎さんを看取った後、京都へ戻り舞台へ。
そして本来なら親子で勘九郎襲名共演するはずだった舞台で「無念だったと思います。私たちも無念です。」と涙を浮かべ、口上を述べました。

中村勘三郎さん お別れの形

自宅での密葬のお通夜に多くの弔問客

都内文京区のご自宅で12月10日、通夜が営まれました。
あくまで「近親者だけの密葬」とされていましたが、長嶋茂雄さんや宮沢りえさん、山田洋 次さん、息子・七之助さんの同級生の松本潤さんなど、約700名が弔問に訪れる多くの方々が駆けつけました。
一時は自宅前から約80メートルの長い列ができるほどで、改めてその愛された人柄と広い交友関係が偲ばれます。
喪主は勘九郎さんと七之助さん。2人とも京都・南座での勘九郎襲名披露「吉例顔見世興行」に出演中で、深夜には京都へ戻り、後は妻の好江さんが代理を務めてました。

好きなものに囲まれた棺や遺影

棺は玄関に入ってすぐそばの1階リビングに置かれ、「船弁慶」で演じた静御前の舞台衣装が掛けられました。
親族や親しい関係者からの約300の白い枕花と悲報を大きく伝えたニューヨーク・タイムズの紙面、大好きだったカレーライスや仏ブルゴーニュ地方の赤ワイン「エシェゾー」なども供えられていました。
遺影はタキシード姿で、長男・勘九郎さんと前田愛さんの結婚式に出席した際に撮影した一枚。 他にも好江さんと寄り添う写真、ミッキーマウスと楽屋で並ぶツーショットなどの写真も飾られました。

主な参列者

長嶋茂雄 宮沢りえ 三田寛子 松本潤 山田洋次 中村吉右衛門 寺島しのぶ 富司純子 中村梅玉 田畑智子 中村獅童 市川猿之助 篠山紀信 古田新太 岩城滉一 松本幸四郎 串田和美 津川雅彦 市川染五郎 三宅健 尾上菊五郎 尾上菊之助 柄本明 鈴木京香 蒼井優 生田斗真 生田竜聖 橋爪功 渡辺えり 水谷八重子 小日向文世 坂東三津五郎 松たか子 中村福助 沢村田之助 (順不同、敬称略)

息子たちが参列できなかった葬儀・告別式

通夜の翌日、ご自宅で11日の午前11時から行われた葬儀・告別式も密葬とされましたが、約500名の方が参列しました。
通夜から告別式まで、中村屋代々の菩提寺である台東区の西徳寺の僧侶が務めています。
喪主である長男・勘九郎さん、次男・七之助さんは京都・南座での興行があるため参列できず、勘九郎の妻・前田愛さんが位牌を持ち、隣りには勘三郎さんの妻・好江さんが孫を抱きしめていました。
野間脩平さんが、好江さん、勘九郎さん、七之助さんによる連名のあいさつ文を代読。 「短い人生でありましたが素晴らしい先輩、後輩、仕事仲間、お友達、ファンの方たちに囲まれ、楽しい人生、素敵な人生、格好いい人生をまっとうすることができたと思っています。」
「大きな、大きな光を失ってしまいましたが、彼が残してくれた偉大なる愛情を心のお守りにして生きてゆくことが私たちの使命だと思います。 波野哲明を主人に、父に持てたことを私たちは誇りに思っています。最後にもう一度、ありがとうございました。」と結びました。
大勢の参列者が早過ぎる勘三郎さんの死を悼み、涙を流していました。

紙吹雪舞う中での出棺

棺の中には、翌年開場予定だった新しい歌舞伎座の完成予想図や好江さんとの写真が納められました。
「船弁慶」での静御前の衣装が掛けられたその棺を中村福助さん、中村獅童さん、江川卓さんらが担ぎ玄関から現れると、拍子木の音が鳴り、期せずして周囲の方々から「中村屋!」「十八代目!」と掛け声が飛び交い、天使を型どられた紙ふぶきと銀色のテープが舞い上がり、まるで歌舞伎の舞台のよう。
そんな光景のなかで、勘三郎さんを乗せた車は自宅を後にしました。

ゆかりの人々が粋に見送った本葬

勘九郎さんと七之助さんの出演していた京都・南座での舞台が千秋楽を迎えた翌日、都内中央区の築地本願寺で本葬が営まれました。

ゆかりの地を巡り、祭のように見送られて

当日午前9時、勘三郎さんの遺骨と位牌を乗せた車が自宅を出発し、平成中村座の跡地「隅田公園・山谷堀広場」を皮切りに新橋演舞場歌舞伎座など勘三郎さんゆかりの場所を回りました。
隅田公園では700人以上、歌舞伎座には役200人のファンが集まりました。
そして新しい歌舞伎座のこけら落としの舞台に立つことを励みに闘病を続けていた勘三郎さんの夢を叶えるため、完成途中だった歌舞伎座の中へ入ることも許されます
勘九郎さんは「すごく喜んでいたと思います。歌舞伎座が昔のままだったので。あの光景をみたら、一番喜んでいたんじゃないかな」と語っていました。
勘三郎さんの御遺骨は、中村屋の色である薄卵色の羽二重に、角切り銀杏の中村屋の家紋を染め抜いた布に大切に包まれていました。
隅田公園ではその遺骨を胸に抱いた勘九郎さん七之助さん、好江さんらが見守る中、阿波踊りの「あやめ連」が賑やかな祭囃子を披露し、平成中村座の従業員や浅草仲見世商店街の人々によって、18代目勘三郎、6代目勘九郎襲名披露の際に使用されたゆかりの神輿が担がれ、お祭り好きだった勘三郎さんを粋に送りました。

築地本願寺での本葬

築地本願寺の祭壇中央には「十八代目中村勘三郎を祝う会」で篠山紀信さんが撮影した遺影が飾られていました。
手を合わせて優しい笑みを浮かべる勘三郎さんの姿で、その周りを白のカーネーション1500本、胡蝶蘭150本で埋め尽くす圧巻の祭壇。
式では勘三郎さんの初舞台「昔噺桃太郎」を始め、平成中村座の浅草やニューヨークでの公演、プライベートも交えた映像が流されました。

大竹しのぶさんをはじめ、多くの方々による弔辞

続いての多くの方が弔辞に立ちました。
大竹しのぶさんは、闘病中も周囲に明るさをもたらしていた勘三郎さんの様子を明かし 残された家族を気遣い「勘九郎、七之助、(孫の)七緒八くんの3人と愛ちゃんを見守ってください。そして何より、愛してやまない好江ちゃんのそばにいて力を貸してください。」と勘三郎さんに向かって呼びかけ、「大好きですよ、いまもこれからも。またね」と結びました。

劇作家の野田秀樹さんが続き、「安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをウロウロしてくれ。化けて出てきてくれ!」と涙ながらに思いを口に。
そして松竹の迫本淳一取締役社長、幼なじみの坂東三津五郎さん、歌舞伎役者の坂田藤十郎さん、片岡仁左衛門さんが続き、早すぎる死への無念を口にしていました。
本葬では多くの関係者弔問客が10000人、一般の弔問客2000人が訪れ2キロにも及ぶ列でした。さらに報道陣は300人に上っています。

主な参列者

松本幸四郎 中村吉衛門 中村橋之助 中村獅童 尾上菊之助 市川海老蔵 阿部寛 東山紀之 香取慎吾 草なぎ剛 大野智 二宮和也 櫻井翔 奥田瑛二 宮藤官九郎 阿部サダヲ 宮沢りえ 深津絵里 王貞治 九重親方(元横綱・千代の富士) 江川卓 郷ひろみ 和田アキ子(順不同、敬称略)

本葬で妻がみせた白喪服姿

永遠の愛を表す白色の喪服を身に纏った妻

本葬では、勘三郎さんの妻・好江さんが白羽二重の古風で本格的な装いでした。
昔は御大家や格式を重んじる家の未亡人や故人の娘が白紋付を着用しています。「貞女二夫に見えず(ていじょじふにまみえず)」という言葉があり、貞女は夫が死んだあとも、再婚することはないと示すために着ていたそうです。
好江さんも「夫が亡くなっても再婚はしません」と永遠の愛を表す白色を身に纏い、その姿がとても目を惹いていました。

あらかじめ白喪服を仕立てておくのは縁起が悪いとされ、密葬は黒紋付で済ませ本葬までの数日間で誂えるのが本式とされます。 つまり本葬まで行う家柄でなければ着用することもない喪服なのです。

日本古式の喪服は白色だった

長い日本の歴史のなか、喪服は白→黒→白→黒と変遷し、古代の喪服は白、平安後期には一般的に黒、室町時代にまた白が復活といったようにです。
どちらかというと喪服は白が主流でした。
その伝統が崩れたのは明治30年の皇室の葬儀の際に、政府が諸国の国賓の目を気にして、黒に統一したたのがきっかけだそうです。 また、後に皇室の喪服は黒と正式に定められたことも影響しています。

今でも中国や韓国、ベトナムなどアジア諸国は「喪服は白」が一般的なようです。

盛大だった一周忌メモリアルイベント

逝去から約1年、2013年10月27に中村勘三郎さんの事務所により、一周忌追善(※)の「十八世 中村勘三郎一周忌メモリアルイベント」が執り行われました。
場所は本葬が行われた東京・築地本願寺です。 会場には柄本明さん、笹野高史さん、伊藤英明さん、江川卓さん、青木功さん、永島敏行さん、野田秀樹さんなどが出席し、約3300人が訪れていました。
また同日はドキュメンタリーとして製作された「映画 中村勘三郎」が公開され、そのダイジェスト版が流されました。 ※追善:読経などの供養。

トークショーや歌、孫の歌舞伎舞台と賑やかなイベント

イベントは太鼓演奏で始まり、勘九郎さんと七之助さんによるご挨拶。
続いて、生前勘三郎さんと親交のあった方々をゲストに迎えての「思い出トークショー」が笑福亭鶴瓶さんの司会で進められました。
宮藤官九郎さん、小泉今日子さん、さだまさしさんらのビデオメッセージや特別編集した大竹しのぶさんと勘三郎さんのデュエット曲「愛の朝」「リンデンバウムの歌」も披露。
さらに勘九郎さんと七之助さん、孫の七緒八くんによる歌舞伎舞踊「偲草鶴競猿若舞(しのびぐさつるくらべさるわかまい)」も舞台で披露されるなど、 一周忌も勘三郎さんらしい盛大なイベントとなりました。

翌月の11月27日、勘三郎さんと好江さんの33回目の結婚記念日のこの日、一周忌追善法要と納骨式を執り行っています。(於:西徳寺)

中村勘三郎さんの葬儀・お別れの形

希代の歌舞伎役者を見送るのにふさわしい、祭のように派手で粋な葬儀。
浮名を流し続けた勘三郎さんの妻としてただ一人、白い喪服の姿を見せた好江さんなど、最後まで歌舞伎の世界さながらの中村勘三郎さんのお葬式。
故人の背負ってきたものの大きさと、人に愛された人柄とが表れている盛大なものでした。
また葬儀とは形式にとらわれず、故人やご遺族の気持ちを汲んだお別れの形で良いのだと改めて感じさせてくれています。

人生の最後を考える:終活のすすめ

様々な分野で活躍し、人生を駆け抜けた著名人のお別れの形をロールモデルとして様々紹介していますが、死はいずれ誰しもに訪れることです。
ご自身や家族が突然のお別れになってしまわないとも限りません。

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