津川雅彦さんと朝丘雪路さんの葬儀・お別れの形 | 「ご夫婦合同のお別れの会」は華やかな人生の千秋楽

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芸能界のおしどり夫婦で知られた俳優の津川雅彦さんと女優の朝丘雪路さん。

妻の朝丘さんが亡くなった3か月後、津川さんが後を追うように逝去され、それぞれの葬儀は家族と近親者のみの密葬で行われました。

それから約3か月後の2018年11月、ご夫婦合同のお別れの会が盛大に営まれました。

この事ではおふたりの最期の様子や葬儀、また合同のお別れ会についてご紹介しています。

津川雅彦さん、朝丘雪路さんプロフィール

朝丘雪路さんのプロフィール

朝丘雪路さん 本名は加藤雪江:かとう ゆきえ (旧姓・勝田)

1935年7月23日 東京都中央区築地出身 料亭「勝田」女将の勝田麻起子の娘。 父は伊藤深水(浮世絵師、日本画家、版画家)

父の溺愛を受けて、浮世離れした人格となり様々なエピソードを持つ。

1952年 宝塚歌劇団に入団。月組の娘役として活躍。

1955年 同歌劇団を退団。

宝塚を退団後は、女優や歌手、タレントとして活動の場を広げ、NHK紅白歌合戦には1957年に初出場、あわせて10回出場した。また、日舞の深水流家元(深水 美智雪)としても活動。1960年代には日本テレビ系深夜番組「11PM」で司会、大橋巨泉さんのアシスタントを務めて人気を集めた。

1967年 医師と結婚するも翌年、離婚。

1973年 津川雅彦と再婚。

1974年 長女 真由子を出産。生後5ヶ月で誘拐事件が起こる。

2011年 旭日小綬章を受章。

2014年 津川雅彦、真由子との家族共演の舞台を最後に休養。 アルツハイマー型認知症を患う。

2018年 4月27日ご自宅で逝去(享年82)

津川雅彦さんのプロフィール

津川雅彦さん 本名は加藤 雅彦(かとう まさひこ)

1940年1月2日 京都府京都市中京区出身

映画監督としてマキノ 雅彦(マキノ まさひこ)の名で活動。俳優・長門裕之さん(2011年逝去 享年77)は兄。祖父は牧野省三監督、叔父はマキノ雅弘監督という芸能一家に生まれ、子役として映画に出演。

1956年に「狂った果実」で石原裕次郎の弟役で本格デビュー。

この映画でスターとなり、以降は映画、ドラマ、舞台などで活躍し、二枚目から悪役まで幅広い役を演じた。

1982年 「マノン」で第24回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

※結婚等については記述。

2014年 旭日小綬章を受章。

2018年 4月に妻の朝丘雪路さんと死別し、5月20日に妻の死を受けて会見を開く。

前年秋に肺炎を患った影響で酸素吸入器のチューブを鼻につけた状態で会見に臨み、これが公の場に出た最後の姿。

2018年8月4日 心不全のため、東京都内の病院で逝去(享年78)

津川雅彦さん、朝丘雪路さんの最期

朝丘雪路さんの最期

朝丘雪路さんは、津川さんの玩具事業失敗により自宅を売却しており、2009年から湾岸地区にあるタワーマンションで暮らしていました。

2014年頃からアルツハイマー型認知症を発症し、面倒はほとんど長女の真由子さんがみていましたが、最後の3~4年は都内の一戸建てで津川さんが「おれが面倒を見る」と同居していました。

娘の真由子さんが「母はおとぎ話の『眠れる森の美女』のように目を覚ますことなく眠ったまま、夕方に静かに息をひきとりました。」とご自宅で、娘と津川さんに見守られて眠るように逝ったことを明かしています。

津川雅彦さんの最期

妻の朝丘さんが亡くなった約3週間後の2018年5月20日、津川雅彦さんが会見を開きました。

津川さんは心臓や肺の疾患で入退院を繰り返しており、車イスで移動、在宅酸素療法で鼻にチューブをつなぐという体調をおしての会見でした。

津川さんは最後の数年は可能な限り妻のそばにいたことを明かし、「全てに感謝です。娘を産んだことも含めて。家を売ってくれたこと。僕よりも先に死んでくれたことも含めて」とコメントしました。

津川さんはこの頃、俳優業も続けていて5月下旬から6月中旬までテレビ朝日系「松本清張ドラマスペシャル『疑惑』」で弁護士役で5日間撮影に参加し、これが遺作となりました。

また、それまで反対していた一人娘の真由子さんと10年来の恋人との結婚を許し、朝丘さんの四十九日を待って入籍がおこなわれました。

その後は自宅で、愛犬(レトリバー)2匹との静かな時間を過ごしていたといいます。

8月1日に体調が急変し入院、そのまま8月4日に心不全でお亡くなりになりました。朝丘さんの死からわずか3ヶ月後でした。

ご夫婦ともに葬儀は密葬

津川さんの意向で、朝丘雪路さんは自宅の近所の葬儀場で、ご家族と近親者だけの葬儀を執り行いました。

納骨を終えて落ち着いた3週間後頃に、亡くなったことが公表されました。

津川さんの葬儀も朝丘さんと同じ場所で、ご家族と近親者のみで行われました。

生前、津川さんは津川家の菩提寺である京都・龍安寺の先祖代々のお墓を整備していて、おふたりともそのお墓へ埋葬されたそうです。

夫婦合同のお別れの会

2018年11月21日に、津川雅彦さんと朝丘雪路さんの「合同葬 お別れの会」が東京都港区の青山葬儀所で営まれました。

会場の入り口両側に、おふたりの写真がそれぞれ飾られました。

カラフルに彩られた祭壇

娘の真由子さんは、津川さんが生前から「葬式の時は華やかに、お祭りのようにしてくれ」と言っていたとして、祭壇をトルコキキョウやユリ、カーネーションなど約4,000本の花でカラフルに彩りました。

中央には夫婦の大きな遺影が並び、津川さんは1年前、朝丘さんは5年前に撮影された写真を使用したそうです。

明るく送られた、お別れの言葉

津川雅彦さんと生前親交のあった黒柳徹子さん、奥田瑛二さん、五木ひろしさんからお別れの言葉が送られました。

黒柳さんが「とにかくじめじめした葬式は俺は嫌いだ」と津川さんが話していたとして、黒柳さんも奥田さんも明るく語りかけていました。

黒柳徹子さん

黒柳徹子さんは、おふたりの結婚を知って間もなく新幹線で津川さんに会ったときのエピソードを披露。

「プレイボーイだと思っていたのになんで結婚したの?」と大声で聞きました。『踊りがうまいから』と言うから、それだけじゃ変じゃない、とまた大声で言ったら奥の席に朝丘さんが座っていたんです」と会場の笑いを誘いました。

努めて明るく語り、涙を見せず「雅彦ちゃん、長い間友達でいてくれてありがとう。バイバイ」と笑顔で遺影に手を振りました。

奥田瑛二さん

奥田瑛二さんは祭壇を見上げて一礼し「神妙になりましたが、役者ですからパッと明るくと思っております」と切り出しました。

そしてゴルフ場で大げんかをした思い出を披露しました。

「芸術論の話をしたら、『俳優がしていることはエンタテインメントで、いかに人を喜ばせ、楽しませるかだ。芸術を語るなんてどんでもない』と怒られた」とモノマネを交えました。

「私は隅で泣いてハーフだけで帰りました。それ以来、ゴルフはやっていません。私は98歳で死ぬと決めているので、30年後に(天国で)ゴルフをしましょう」と語りかけました。

五木ひろしさん

五木ひろしさんは「毎年、年末に、1年間に出た新聞を中心としたさまざまな私の記事を集めて送ってくださった。気にしていただき、いつも見ていただいていた。いつも心優しい津川さんに感動していました」

「朝丘さんを亡くして、すぐ後を追うように亡くなった津川さん。愛情の深さを感じて、これまた感動しております」と偲びました。

献花に駆けつけた安倍首相からの感謝の言葉

安倍晋三さんも献花に駆けつけ、感謝の言葉を述べていました。

「第一次政権が一年で終わり、津川さんはそういう時にブログで私にエールを送っていたいただき、私の方から津川さんにお目にかかりたいと思って声をかけさせていただきまして、一緒にお食事を共にしました。

そうしたら津川さんから『安倍さん、がんばってもう1回やんなよ』と」など語り、交流の様子を話して感謝の言葉を述べていました。

北朝鮮による日本人拉致問題について、積極的に尽くしていた津川雅彦さん。

ボランティアで活動し、啓発ポスターに起用されたこともありました。

自身が子供の誘拐事件を体験していることから、強い思いをもって参加していたといわれています。

喪主挨拶での「大向う(おおむこう)」

喪主を務めたのは娘の真由子さんでした。

「じめじめした挨拶をしていると、後ろからダメ出しをされていそう」と挨拶を始めました。

「父と母は、決して理想的な父と母とは言えないと思います。

父は家族よりも周りの友達や友人、先輩、後輩を大切にしてやりたいことをやるんだと生きてきた人。

母は母で、何もできず本当にお嬢さま一本できた人。自動販売機に『朝丘です』と言って買えると思っていた人。

大丈夫かなと思っていた4~5歳の頃を思い出します」

「私の中では世界一の父と母だったと、胸を張って言えます。悔いも残るし会いたいから、

今はいっぱい泣かせてとお願いしています」と思いを明かしました。

そして「父と母の人生の舞台の千秋楽を、ぜひ大向う(※)と拍手で見送ってあげたい。せん越ながら、私が口火を切らせていただきます」と言い、「お父さん、お母さん、千秋楽、お疲れさまでした」と呼びかけ、「津川っ」「朝丘っ」と叫ぶと、会場からは盛大な拍手が沸き起こりました。

「ご両人!」の掛け声も飛び出すなど、華やかな幕引きとなりました。

※大向う(おおむこう)…歌舞伎の掛け声で「〇〇屋!」と声を掛けること。

参列者

合同のお別れ会には、関係者約800人が参列しました。

安倍晋三、黒柳徹子、五木ひろし、奥田瑛二、安藤和津、安藤桃子、柄本佑、岩下志麻、笹野高史、黒木瞳、富司純子、西岡徳馬、米倉涼子、温水洋一、浅丘ルリ子、松崎しげる、向井理、竹内結子、山口もえ、本郷奏多、渡辺裕之、原日出子、萬田久子、篠原哲雄、永島敏行、別所哲也、渡辺えり、東山紀之、ジュディ・オング、小倉智昭、前田亜季、デヴィ夫人、水谷豊、反町隆史、宇崎竜童、阿木燿子、神山征二郎、かたせ梨乃、国広富之、でんでん、夏木マリ、國村隼、上川隆也、六平直政、高橋克典、伊藤英明、神田うの、松岡茉優、佐藤浩市、中井貴一、岸部一徳、渡辺大、金子修介、沢村一樹、堺雅人、伊勢谷友介、いしのようこ、平山秀幸、杉田成道、村上弘明、林遣都、佐々木蔵之介、舘ひろし、近藤芳正、

小田和正、平田満、鈴木京香(敬称略、順不同)

津川雅彦さんと朝丘雪路さんお別れの形まとめ

津川雅彦さんの晩年は認知症の妻をそばで見守り、朝丘さんが亡くなった後、自分が看取ることができたという安堵感と自分自身の死も覚悟していた様子が感じられ、周囲には「何か達観されている」という印象だったようです。

晩年は友人に会うこともなかったという朝丘さんとの合同お別れ会では、娘の真由子さんが「人生の千秋楽」というように、存分に親交のあった方々とのお別れが出来たのではないでしょうか。

津川雅彦さん、朝丘雪路さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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